about us

㈲栄醤油醸造は、江戸時代、寛政7年創業の醤油醸造元です。
かつて城下町として栄えたこの場所で、200年以上醤油造りを受け継いできました。

昔ながらの木桶仕込みにこだわり、現在八代目。
「丸大豆・小麦・塩」の原料を活かした天然醸造による醤油造りを今なお続けています。

このページを通して、みなさんに、そんな栄醤油のことを少しでも知っていただけたらと思います。

醤油造りのはじまり

戦国時代末期に徳川家康の命で城が築かれて以降、城下町として栄えてきたこの横須賀の地で、江戸時代、寛政7年(1795年)に、初代となる深谷新八が元々の家業であった刀鍛冶と並行して醤油の醸造を始めたのが栄醤油醸造の始まりです。
その後、明治・大正と時代が移り変わるのにあわせていつしか本業となり、五代目の深谷新平の頃には醤油圧搾機を導入するなどして、現在使っている醤油蔵の基礎ができあがりました。

蔵ぐせ菌の生態系

創業以来200年を超えて先祖たちが蓄積してきた知恵と経験は、暗黙知のなかで今も私たちに受け継がれています。その知が目に見える形で残されているのが醤油蔵です。

私たちにとっては創業年数自体が指標になるというよりは、むしろ何を大事に守ってきたかが大事なことです。戦後続々と統合化されていく醤油業界で、栄醤油醸造は独立して家業として醤油屋を続ける道を選びました。そのため代々にわたって修繕や増設を繰り返しながら、同じ醤油蔵を使い続けています。2005年夏には耐震化のために創業以来はじめての大改修を行いましたが、この際鉄筋コンクリートなどによる工場にはあえてせず、あくまでリフォームにとどめて古い柱や土壁を残すことで、蔵に棲みついている菌を守ることを選びました。この横須賀の土地の気候や環境、水に合った菌たちの生態系が200年の年月と共に、私たちの蔵に息づいています。

そうした蔵が独自にもつ特徴を蔵ぐせといい、蔵ぐせへの深い理解なくして醤油造りはありません。原料である大豆・小麦・塩が、菌による発酵を経て醤油となるわけですが、この蔵に棲みついている菌たちは人智を越えた存在です。私たちはそうした菌との共存によって生かされているといえます。天然醸造による栄醤油がほかの醤油にはない唯一の「味・色・香り」にできあがるためには、菌たちの手助け無しには成り立たないからです。

変遷する時代の中で

戦時中は醤油も配給制となっていましたが、その統制が解除されたのが1950年。そこから高度成長期に伴って、モノが無い時代からモノがあふれる時代へと世相が変わり始め、醤油業界も大規模化・近代化が進み、化学成分を利用して旨味を加えたり、酵素を添加することで発酵の時間を短縮したりする技術が発達したためにたくさんの醤油が出回るようになって、醤油を製造する家は次第に減少してきました。
しかし、そんな中で、当時の六代目である深谷教治は流れに掉さすことをよしとせず、飽食の時代だからこそ問われる醤油本来の価値を大切にしたいという思いから、昔ながらの醤油造りを続けることを選んだのです。

栄醤油に込めた思い

六代目は時代の流れに逆らうようにして、信頼できる丸大豆や小麦を求めて遠くは北海道にまで足を運んで原料調達に走り、また使い古した木桶を用いておよそ1年半かけてじっくりと熟成させるやり方を守り通しました。折に触れて「醤油を出荷するとき、自分の娘を嫁に出すような気がする」と言っていましたが、それほどの手間と愛情を費やしたのです。そして、今の在り方で「とこしえに栄えるように、皆様が」との意思を込めて、商品名に「栄」を冠し、今の栄醤油が誕生しました。

自然食への信念を貫いた女将

じつは天然醸造の醤油造りにこだわりを持ったのは、六代目の女将でした。添加物を使わないこと、店の敷地内に井戸を掘り出して地下の天然水を使うこと。原料費が高くつくと当初は抵抗を示した六代目に対して、「これからの世の中には、自然食である本物の醤油を提供しなくては」という女将の信念と先見の目が勝ったのです。

近年になると、食の安全性が取り沙汰されると共に醤油の原料や醸造方法が見直されるようになって、大変ありがたい事に遠いところから私どもの醤油を求めてお声がけいただくことが多くなりました。
毎日使うものだからこそ、安心して使えるものを。私たちは今日も、その一心で醤油を造り続けています。